さて、前回までお伝えしてきた「お金の本質は貸し借りのデータにすぎない」ということは、おそらく銀行マンの方には常識かもしれません。2019年あたりから日本国内でも急速に浸透してきた、正しい貨幣観のひとつになります。
そこで疑問がわいてくるかたもいらっしゃるかと思います。そんな話、いままで一度もきいたことないと。実は恥ずかしなから筆者も以前はまったく同じ状態でした。
ではなぜ、我々日本人はこれを知らない、あるいは理解するのに時間がかかるのでしょうか。これはまさに、投資教育・金融教育と呼ばれ、浸透している「お金の勉強」そのものというより、実は子ども向けのお金の勉強にこそ原因があったのだと考えています。
今回は、そんな筆者の私見をご紹介しますので、ぜひ一緒に考えていただけたら幸いです。
目次
「おこづかい」という概念そのものが、おとなを惑わせている!?
子どもの頃を思い出してみましょう。親から500円玉や1,000円札でおこづかいをもらって、それで好きなお菓子やガチャガチャを買った記憶はありませんか?おじいちゃん・おばあちゃんからもらったお年玉を、郵便局などの高金利な預金にしていた、というかたもいらっしゃるかもしれません。
我々はおそらく、子どもの頃から「お金はなにかありがたいもの」という感覚が身に染みていることでしょう。親から渡されるおこづかいには限りがあり、一度使ってしまうと、次にもらえるまでゼロになってしまいます。
このことは「お金の発行量はいつも限定されている」という感覚を、純粋な子どもの頃から素直に信じてしまっている、ということでもあるのです。
おこづかい帳をつけることについても、限られたお金のなかで、必要なお買物と無駄遣いをコントロールしながら、なんとか締日までやりくりする、赤字・借金状態にならないように収支の帳尻を合わせる。そんな感覚しか教わりません。
算数としてお金について学ぶという点では問題ないし、個人や家計レベルの話であれば、「借金は良くない」という感覚を学ぶことは、悪いことではないように思えます。
ただし家計と、国家(政府)や企業においては、借金の意味合いが異なってきます。そもそも「借金」という言葉ではなく「負債」「債務」という言葉が良く使われますよね。
当然です。政府や企業にとっては、債務を負い続けながら、公共投資・研究開発・設備投資・人材投資などをしていかないと、長期的に成長し続けることはできません。
限られたお金の中でやりくりする、借金は悪という発想は、政府や企業には本来ふさわしくない概念ですし、これこそまさに、我々の経済のダイナミズムとメカニズムを表現しきれていない発想になります。
ところが家計ではこうはいきませんから、根本的に相反する発想を自分なりに消化していかないと、お金の本質を理解できなくなってしまい、そんな子どもがそのまま大人になると、もはや全く理解不能になってしまうか、筆者のように理解するのに時間がかかってしまうのです。
そもそもあなたのお金は口座間を移動しない
最近では、キャッシュレス決済の普及などに伴い、銀行などのATMを利用する機会がめっきり減ってしまった、というかたもいらっしゃるでしょう。
そのATMの操作について、例えば振込みの操作において、おそらく一般的にはあなたの紙幣がAさんやB社などの口座に移動する感覚を持ってしまうかたがほとんどかもしれません。
ところが実際は、その紙幣があなたの口座から、AさんやB社などの他の口座に移動しているのではありません。あなたの口座や、AさんやB社などの他の口座の預金残高という数字が、データとして単純に増減しているだけです。
我々がよく目にする、よく使うお金は、基本的にはこのようなデータとしてのお金ばかりだと思います。このデータは、物理的に移動したりはしません。
子ども向けお金の教室で、いまさらに必要なこと
おこづかい教室などでは、手元にあるお金を何かに使う、何かを買う、ということはやるかと思います。また、どこかから定期的におこづかいをもらえる、ということも同様にやるでしょう、
そこでぜひやっていただきたいのは、どこから借りてくるか、そのお金はどう返すか、ということです。お金は足りなくなれば借りることができる。返せる状態になれば返すことができる。そんなことをなるべく早いうちから学んでいただきたいと思います。
働くか、贈与されるか、借金することによって、どこかからお金を調達することができる。お金を使って何かを買う、その何かはまた売ればお金になる。借金は返済することができる。
この感覚、お金の貸し借り、貸借関係を学ぶことこそ、スマホ・キャッシュレスが当たり前の子どもにとっては、よりしっかり学ぶ必要があるのでしょう。
お金は紙幣や硬貨としての「モノ」ではなく、通貨としての「貸し借りのデータ」であるという感覚を、なるべく早いうちに身につけてほしいと願っています。